いや、本当の話、村上春樹さんがノーベル文学賞の有力候補だから書いてるんじゃなくて。本当に偶然、「ノルウェイの森」を読み返してたんだって。それで、自分の思春期を思い出して、この記事を書こうと思ってたんだって。
そんな言い訳がましいこと書いている時点でこだわってるやん!俺!
と自己ツッコミしながら、この記事を書いています。
「ノルウェイの森」が発売当時、私はまさに、主人公と同じくらいの歳で、毎日毎日、「生きるとは何か」「恋とは何か」「愛とは、正義とは、平和とは何か」なんてことを悩んでおりました。
だから、この小説を読んだときは、主人公に、何だかよくわからないけれど、感情移入していた記憶があります。
この9月に、思うところあって、急に昔読んだ「ノルウェイの森」を読んでみたくなり、20年数年ぶりに読んでいて、ちょうど昨日、読み終わったところだったんですね。
(思うところあった話は長くなるので別の機会に)
私は「ノルウェイの森」がヒットする前から、大学時代の親友の薦めで、村上春樹さんの小説を読んでいたのですが、すごく好きな作品です。
当時は、本当に心が揺さぶられる(というか、村上春樹の小説は全部そうだったけど)感じでした。
けれど、読んでいて、あまりにも辛くなって、あまりにも寂しくなって、それが辛過ぎて、小説の最後の最後を読む時は、彼女(今の妻)が泊まりに時にしか読めなかったという。
なんとも、まあ、繊細というか、なんというか。
今思い出しても、ちょっと苦しい感じがします。
で、ものすごく久しぶりに「ノルウェイの森」読んでみての感想は、自分でも意外なものでした。
もっと、センチメンタルになると思っていたんですが・・・
感想は、主人公である「僕」に対して、
「それはお前、女性に対してひどすぎるやろう!!!」
というものでした。
主人公の「僕」は様々な事情があって、親しい女性を放ったらかしにしてしまう場面があるんですが、当時はその「僕」の気持ちに感情移入していたのに、今や女性がかわいそう!と思うように変化していたわけです。
これは、私自身が今、カウンセラーとして辛い思いをしている女性のご相談を伺うことが多いという背景もあるとは思いますが、どうやらそれは「当時の私は思春期をやり残していた」ということに大きな原因があるように感じます。
私は超優等生だったので、反抗期というのがなかったんですね。
反抗期がやってきたのは、37歳になって、カウンセリングを受けるようになってからのことです。
そういう意味では、私は、初めてカウンセリングを受けるまで、ずっと「思春期をやり残していた」のだと思うのです。
だから、一人で勝手に悩んで、大切な誰か(当時恋人だった今の妻=カウンセラー池尾千里)の気持ちは後回しにしてしまっていたんだな、と今から思えば、感じることができます。
でも、やむえなかったとも思うのです。
だって、ずっと反抗期がなくて「思春期をやり残していた」ので、まさに「永遠の少年」だったわけで。
そう思えば、妻はよくもまあ、そんな私にずっと付き合ってくれたなあ、と改めて感謝したくなります。37歳までの私は、相当にひどく妻を傷つけてきたので。
今回、「ノルウェイの森」を読み返してみて、すごく、こうしたことを思ったんですね。
こうして記事を書こうと思ったのは、「思春期をやり残して」いると、歳を重ねていても、思わぬところで問題を起こしてしまったり、自分の感情をうまく感じられなくなる場合があるんだな、と。
私の場合は、ずっと「大人になりたくなかった」ので、「一人の世界に閉じこもって」そのため、「周りの人との距離を縮められなかった」ために、「大切な人との距離も遠くして」しまい、「大切な人に寂しい思いをさせていた」ということが起こっていました。
大人になりたくなかった理由は、深層心理に「自分は誰かに愛されるはずはない」という思いを抱えていたからです。
ずっと気が付いていませんでした。
37歳になるまで。
カウンセリングを受けるまで。
カウンセリングで、その「自分は誰かに愛されるはずはない」という気持ちを癒すことで、ようやく、人との距離を縮め、大切な人との距離を縮めることができて、「つながり」や「愛情」を感じられるようになっていきました。
もし、今、あなたが「思春期をやり残してるかもしれない」と思われたのなら。
一度、ご自身の心の中を整理してみてください。
何をやり残しているのでしょう。
もしかしたら、あなたは「自分は誰かに愛されるはずはない」と思っているかもしれません。
この自分自身への問いかけが、今の問題の大元になっている場合もあるのです。
何か感じるものがありましたら、一度、カウンセラーとお話してみてください。
ヒントが出てくるかもしれません。
それにしても、今、こうして「ノルウェイの森」を読み返してみて、こんな感想を持つというのは、ある意味、成長した、とも言えるし、あの頃の繊細さを感じられないのは、実際、いいのか悪いのか、とも思うし。
この文章自体が、そもそも、湿っぽいから、大人になりきれてないまま、とも思うし。
けれども、やっぱり「繊細な感じ」を持ちつつも、こうした感じを感じられるようになっているのは、いいことだ、と思った今日でした。