『罪悪感は蜜の味』という言葉にピンときたら『愛が大きい』証拠

「罪悪感は蜜の味」という言葉、聞いたことありますか?

罪悪感なんて感じたくないですよね。

そんなもの感じたら、嫌な気持ち、苦しい気持ちになりますから、誰だって求めたくないものです。

なのにどうして「蜜の味」なんて表現することがあるのでしょう。

ここに罪悪感の正体に気づくヒントがあります。

 


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◇罪悪感を感じることに何かしらの喜びがあるとしたらその理由って?

罪悪感を感じた時に、蜜を食べた時の甘~いという喜びに似たものを感じるのだとしたら、そこにはちゃんとした理由があるはずですよね。

罪悪感とは、罪の意識を感じて自らを罰するものです。

例えば、あなたが何か悪いことをしてしまい、それをとても罪なことと感じて、こんな自分は罰せられないといけない、と感じたとしますよね。

こう考え、悩み、苦しんでいる時に、神様みたいな存在が天から降りてきて

「お前の望み通りに罰を与えてやろう」

とバシっ!と杖で頭を叩かれたとします。

痛いのは嫌ですが、それでも、ちょっと安心する気持ちも感じると思いませんか?

「少しでも罪滅ぼしができてよかった」

という感じているからなんです。

しかし、実際には神様みたいな存在がやってくるはずはないので、これを自らに課そうとします。

つまり、自分で自分を苦しめようとするんですね。

罪悪感を強く感じたら、自分を苦しめることができる。

罰することができる。

すると、苦しみを与えることで、少しでも罪滅ぼしができているのではないか、と感じる。

もしも、です。

これが罪悪感の正体だったとしたら。

こんな風に自分に罰を与えなきゃ!と思う人のことを「悪い人」と呼ぶのでしょうか。

◇罪の意識は愛の証拠になってしまいます

そもそも、罪の意識を持つということは、愛情と優しさを持っている証拠になってしまいます。

こうした話を私はカウンセリングでよくご相談者さんにさせていただきますが、みなさん、このことを素直に感じるのは難しい方が多い。

中には自らを罰している理由を「反省をしたふりをしているだけ」と言われる方もみえます。

でも、罪悪感というやつは、頭でわかっている以上に心の奥底にたくさん眠っているものなんです。

そんな心の中にあるものを「ふりをして感じる」ことは難しいと思いませんか?

「罰せられたら罪滅ぼしができたかもしれないと思って嬉しく感じる」

とは極端な解釈に感じられる方もいると思います。

しかし、こういう要素があなたにも必ずあります。

この思いが、あなたが幸せになることのブレーキになったり、あなたの魅力や才能を受け取らないようにしたり、なんてことを起こしています。

でも、実際は全く逆に使うべきものなんです。

「罪悪感は自分の愛と優しさを知るためのもの」

なのです。

少しでも罪滅ぼしになると苦しむことに喜びを感じるより

あなたが喜びを感じることをする、誰かを愛してあげる、そんな喜びのほうにエネルギーを使ったほうが効率がはるかに高く、成果も上がります。

何より真っ直ぐ心が喜ぶじゃないですか。

同じ喜びを感じるやり方をするなら、真っ直ぐ喜びに使ったほうがいい。

この当たり前のことが難しい。

自分に対して、愛される価値がある、と素直に思えないからです。

だから、私たちは罪悪感を使って湾曲した形でしか喜びを得ようとしません。

◇罪悪感から自らの愛の大きさを知るという視点を持ってみよう

まっすぐ私には愛される価値があるほどの大きな愛を持っている、と思うのが難しい時は、罪悪感の正体から順番に紐解いて自らの愛の大きさを知るという視点を持ってみてください。

この方がうまくいく場合もあります。

特に自立的に一人でがんばっている方にとっては、自分を甘やかすわけにはいきませんから、こうやってたどっていく方が実感できたりします。

罪悪感は蜜の味、の理由から、あなたの愛を知っていきましょう。

あなたは、それほど大きな愛の持ち主なのです。

 

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